YMOのONGAKU
2022/09/14
YMOの『浮気なぼくら』と『インスツルメンツ』、そしたライヴ盤の『アフター・サービス』に収録されている坂本龍一作曲の《音楽(ONGAKU)》。
私、この曲大好きなんですよね。
それに引っ掛けたのかはわかりませんが、少し前に発売された本、『YMOのONGAKU』(藤井丈司・著)も面白いんですよね。
なので、動画をアップしています。
当時、リアルタイムでYMOを経験していた頃の「昔話」なんかも含めて。
コメント
永井勉さんからのコメント。
YMO ・・・私もはまりました!
私の場合はクラフトワークの Trans-Europe Express
とか エマーソン・レイク・アンド・パーマーとか
すでに知っていたので面白い事やってるぐらいいにしか最初は感じてなかったのですが、
レーザーディスクや音楽ビデオを流してくれる おしゃれな飲み屋で
YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATREの1000 KNIVESを見た時鳥肌がたちました!!!
第一印象は 渡辺香津美かっこいいでした・・・w
当時 雑誌とかで静と動の融合 とか書かれていた記憶があります。
私の場合YMOは テクノというよりフィージョンバンドという位置づけでした。
あとyoutubeで名盤ドキュメント「YMO“ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー”」
という動画がありますパート1~5まで
ぱーと1ですもし見てなかったら必見です・・・W
Jazz Kissa Styleさんからのコメント。
恐ろしいほど酷似した中学生時代を送ってらしたんですね。確かにネクラでした。今と違って紙媒体しか情報源がなかったのでサウンドールには大変お世話になりました。最初はオーディオ雑誌だったのにYMO界隈に舵を切ってから部数が伸びたのか紙面がどんどんYMOに侵食(増殖?)されていくのが面白かったです。
おお、酷似してますか。
ビックリハウス、宝島、サウンドールの「へんたいよい子」は、クラスの中では少数派でしたからね。で、そういう「へんたいよい子」たちと、どう接していいのか分からない大多数からは、「ネクラ」と呼ばれることが多かったです。本当はタモリさん、オフコースの小田さんを揶揄するつもりで言った言葉だったのが、いつのまにか流行語になっていったような記憶が……。
サウンドールは、ほんとお世話になりましたね。今考えると、かなりミーハーなYMO雑誌でしたね。YMOポスターがついている号があったりと(笑)。
>最初はオーディオ雑誌だったのに
そ、そうだったんですか?それは知りませんでした!
YMOに舵を切ってから以降からしか読んでいなかったので……。
NEUPARADOXさんからのコメント。
同意同館です。初めて友人から「PUBLIC PLESSURE」をカセットに録音してもらい寝る時に枕元で聴いた時に東風を聞いて涙が溢れてきた思い出があります。楽曲しかもインストであんなに感動したことは未だありませんね。「お誕生会」は最高ですね。ショッキングだし脳内でずっとループしてしまいます。企画CD-ROM「SELF SURVISE」を用いてRIMIX作品をYOUTUBEにあげていますので宜しかったら聞いて下さい。CDにはサンプル音源が沢山収録されていますが思いのほか人声や声を用いた効果音が多くて何とも人間味をかなり織り交ぜた楽曲ばかりだった」事に感心します。
コメントありがとうございます。
けっこう皆さん、同じような体験をされているようなので、そういう方がけっこう日本中に偏在していたということが確認できただけでも嬉しいです。
「人声や声を用いた効果音が多くて何とも人間味をかなり織り交ぜた楽曲ばかりだった事」
たしかにその通りですね。
どなたかが、フィルハーモニーのことを「3年殺しのアルバム」と評されていましたが、私にとっては、3年どころか30年殺しというか、発表されて30年以上経ってもいまだ新たな発見や驚きのあるアルバムだと思っています。
沢口彩子さんからのコメント。
1990年より前は楽しかった❗
いえてます!
どうもバブル「経済」といっしょくたに語られることが多くて「なかったことにしたい恥ずかしい時代」みたいな文脈で語る人もいますが、「経済」と「文化」は別ですからね。いろいろな面白いものがたくさん出てきた時代だと思います。
そして、90年代以降に登場したものの多くは、80年代に出でてきた萌芽のクリーンアップというかいいとこどりというか、まあオリジナルの息吹きというか勢いみたいなものは80年代の音楽に感じますね。なにせ90年代初期の音楽は「小室」と「イカ天」くらいのイメージがないという(笑)。
沢口彩子さんからの返信。
YMOの写真集買いましたよ❗矢野顕子のピアノ今でも健在。
すずき はじめさんからのコメント。
そうそう…(笑)
いえーい!
hagehagehageさんからのコメント。
solid state survivor における solid state の意味はおそらく半導体を使った電子回路のことです。中学生当時とは違い今はご存知とは思いますが念のため記しておきます。トランジスタや IC を使った電気製品、特にテレビやラジオにはよく solid state と書かれていました。YMO 当時も残っていたと思います。マイクロコンピュータも大体同時期に世の中に普及を始めた頃で、電子機器のいわばガンブリア爆発前夜でした。Chris Mosdell さんはそのような高度に電子化された世界の生活を描いたのかなと思っています。それから40年、いまだに爆発の勢いは止まりません。
私も solid 〜 増殖 〜 BGM あたりの空気はよく覚えています。増殖あたりまでは YMO が一般的でしたが、その直後あたりから横浜銀蝿が出てきて (今でいう) チャラい人たちは皆そっちに行ったような気がします。あとオフコースですかね、ナンパな人たちはそっちに行きました。
BGM が出た後はもう YMO ファンといえば根暗でしたねw それでもクラスに数人 YMO 好きが残っていたので楽しい音楽生活を送れましたけど。BGM を初めて聞いたときは戸惑いましたよ。やっぱり solid 増殖路線をなんとなく期待していましたから。ですがそれでもなんども聞いて鍛えられたからか、テクノデリックになるともう初回からかっこいいと思えていました。今でもこの2枚は月に何度かくらいは聴くくらい好きなアルバムです。この 2 枚はいまだに古くなりません。
hagehagehage
さん
楽しく、そして懐かしい内容の書き込み、ありがとうございます。
ソリッド・ステートの解説もありがとうございます。
やっぱり、YMO好き同士って、同じような空気を感じ、同じような思いと境遇と感じ方なんだなぁと思い、嬉しくなってしまいました。
私も同様にBGMはわからないながらも毎日聴いて、少しずつ理解を拡げていきました。
テクノデリックは、最初に針をおろした時に、いきなりビートルズ風のアカペラが飛び出してきてビックリした記憶があります。
テクノドンのときもそうでしたけど、YMOのアルバムを一番最初に聴くときって、すごく緊張するというか、どんな音が最初に飛び出してくるのかが、ものすごく楽しみでしたね。
としろーさんからのコメント。
1:43 「クラスの中に居るYMO好きは1人か2人」でしたか?1980-81頃は僕の中学ではYMO絡みでラジカセの持ち込みが目立っていて校庭で誰かが流していたり、昼は放送使ってライブ盤流すほど狂っていましたよ。クラスでは先生の了解で昼に増殖のスネークマン・ショーも。出る杭は打たれる、て事でアンチもハッキリしていた。それでYMOを知って自分が遅れてファンになったくらいで。確かに旋風でした。
「クラスの中に居るYMO好きは1人か2人」でしたねー。私が中学生の頃は。
つまり、『BGM』が発売された年、私が中1だったんですね。で、さらにこの年の年末に『テクノデリック』が発売されたこともあるのか、なんとなく雰囲気的にはYMO好き=暗い というようなイメージでした。
もちろん、小学生の頃は、ライディーン、テクノポリスが大好きというクラスメートは多かったですが、それでも感触としてはクラスの1/4くらいだったような気がします。
photomuzikさんからのコメント。
サウンドールもYMO Bookもまだ持っていますよ。
確かに当時は、貪り読んでいました。
いいなぁ、ちゃんと取っておけばよかったと後悔しています……。