ニカ男爵夫人について
2019/08/25
多くのジャズマンに慕われた女性
ジャズ史を紐解くと、そこには必ず「ニカ男爵夫人」が登場する。
それも幾度となく。
トミー・フラナガンもニカ夫人に捧げる『セロニカ』というアルバムをレコーディングしたり、
ホレス・シルヴァーもアルバム『ホレス・スコープ』に《ニカの夢》を自作自演し、
ジジ・グライスは《ニカズ・テンポ》、
ケニー・ドーハムは《トニカ》、
ソニー・クラークは《ニカ》、
ケニー・ドリューは《ブルース・フォー・ニカ》、
フレディ・レッドは《ニカ・ステップス・アウト》を作曲し、
セロニアス・モンクは《パノニカ》という曲を作曲し何度も演奏しているなど、多くのジャズマンたちから慕われているということが伺える。
元・外交官夫人
では、このニカ夫人という人はいったいどういう人だったのか?
本名はパノニカ・ドゥ・ケーニヒッスウォーターといい、ロスチャイルド家のイギリス分家出身だ。
1950年代前半に、フランス外交官をしていたケーニヒッスウォーター男爵と離婚後はニューヨークに移住し、ジャズを愛する彼女は、パトロネスとして自分の財産をジャズマンたちに惜しげもなく援助した。
チャーリー・パーカーが亡くなったのも、ニカ夫人が借りて住んでいたニューヨークのホテルのスイートルームの一室だったし、晩年のセロニアス・モンクが亡くなる数ヶ月前から彼の家族をニュージャージーの自宅に移り住ませ、彼女自身も献身的な看護を行っていた。
他、様々なジャズマンのライブに顔を出し、ステージ後には率直に演奏の感想を彼らに告げ、嘘いつわりなく褒め称えていたという。
このように、有形無形の形でジャズマンたちを支援しつづけたニカ夫人。
彼女の捧げるナンバーが数多く存在するのも頷ける。
記:2001/06/16