巨大な建築物、たとえばバベルの塔の壮観とその瓦解を連想させるセシル・テイラーの音楽

   

雲の高さに達し、ついに天まで届くか、と思わせるほどの荘厳かつ巨大な建築物、たとえばバベルの塔の偉容さと、それが神の怒りを買い、一瞬にして瓦解してしまうほどのインパクト。

これが同時に、最初の数分で味わえてしまうという、ものすごい落差を味わえる即興演奏。

こんなトンデモないスケールの「音による物語」を、たったの6人編成で描き出してしまうスゴい人は、セシル・テイラーを置いてほかにない。

入念にリハーサルをしてから臨んだという本作品は、ブルーノートの2枚の名盤、『ユニット・ストラクチャーズ』、『コンキスタドール』をさらにスケールアップさせたサウンドの迫力がある。

ちなみに、『ユニット・ストラクチャーズ』と『コンキスタドール』も、リハーサルをして吹き込んだ作品というのがブルーノートの運営方針ならではだが、即興演奏を真の意味で即興たるものにするため、通常、テイラーはリハは行わないようだ。

しかし、私は、ブルーノートの2作品や、本作をテイラーの作品の中では上位に位置づけて愛聴している理由は、やっぱり、リハーサルをした作品だからということが大きいのかもしれない。

つまり、リハをするということは、コンポジションの要素を多分に演奏の中に持ち込むわけで、全部が全部そうではないのだろうけれども、演奏の要所要所に、あらかじめ作曲やアレンジされた要素を配することによって、ずいぶんと演奏に物語性が加わり、聴き終わった後の感動度が、やっぱり違うんだよね。

すべてが譜面化されているというわけではないのだけれども、各人に与えられた役どころが記された脚本があるわけ。

だから、最初から最後まで何が起こるか分からない完全なる即興とはワケが違うんだけれども、壮大なストーリーの脚本ならば、大歓迎。

無いよりはあったほうが良い。

もちろん、徹頭徹尾即興なテイラーの演奏も大好きだ。

しかし、即興のみの演奏がもたらすのは、混沌のみ。

作曲&アレンジの要素が若干でも演奏に配されると、混沌のみならず、構築性も生まれ、演奏の強度が増すんだよね。

即興音楽に物語の要素を見出すのは、フリー音楽のマニアからしてみれば邪道なのかもしれないが、私は、やはり、多少でもいいから、起承転結が欲しい。

いや、べつに、起承転結じゃなくて、承起結転でも、結転承起でもいいんだけどさ、ようするに、波というか起伏のようなものね。

くわえて、ドラマ性があればもっと良い。

たとえば、『セシル・テイラー・ユニット』というアルバムには、ラムゼイ・エイミーンのヴァイオリンが参加しているが、彼の参加により、従来のテイラーユニットにはないドラマ性が生まれていることも見逃せない。

Cecil Taylor UnitCecil Taylor Unit

演奏の何箇所かには、ヴァイオリンとピアノだけのデュオの部分もあるが、ピアノを連打するテイラーの音がいつもに増して気品漂う美しさをたたえているのは、ラムゼイのヴァイオリン効果の賜物だろう。

巨大なものが大好きな方に。もの(とくに巨大なもの)が破壊されたり壊れたりするのを見るのが好きな方にお奨めしたい。

『セシル・テイラー・ユニット』は、ちょい厳しいという方には、ドラマティックさが鳥肌ものの超お奨め盤『コンキスタドール』。

ConquistadorConquistador

『コンキスタドール』よりは、ちょっとストーリーが迂回を繰り返すけれども、素晴らしさには変わりがない『ユニット・ストラクチャーズ』。

ユニット・ストラクチャーズUnit Structures

上記ブルーノートの2枚の作品は、やっぱり良い!

記:2012/06/20

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