ジャズメン、ジャズを聴く/小川隆夫
2021/02/17
いち「ジャズ本マニア」として
私はジャズを聴くことが好きだけれども、それと同じくらいジャズについて書かれた本を読むことも好きです。
ジャズマニア以前に「ジャズ本マニア」なのかもしれません。
もちろん、ジャズマンの伝記を読むのも好きだけど、いわゆる「ジャズ評論」も大好きで、様々な評論家の著作を拝読させていただきました。
もちろん、最近の新刊や、逆に昔の古い著書など、まだまだ読んでいない本はありますが、日本で出版されているジャズ評論の本の大半は読んだんじゃないかな?という自負はあります。
なにせ、趣味ですから。
で、その趣味が興じて、1999年に、このサイトを開設したものの、書くことがあまりなかったので、今まで読んできたジャズ評論の真似事をしてみたら、だんだん面白くなってきて、現在もダラダラと、その面白いことを続けているって感じです。
色々な日本のジャズ評論を読んできてはいたし、そのどれもが面白かったり興味深かったりするものばかりでしたが、唯一不満というか、無いものねだりがあるとしたら、それは、もっと楽器を演奏している人がジャズについて書いて欲しいな、ということかもしれない。
演奏者視点の評論が読みたい!
もちろん、ピアニスト・山下洋輔や、最近だと菊地成孔など、文章が面白いジャズマンが書いた本も読んできてはいるけれども、彼らの書く内容って、評論というよりは、「面白い読み物」あるいは「エッセイ」あるいは「講演のリライト」でしょ?
もっと、純粋に楽理的な面からの解説、それもプロ目線で書かれた内容も読んでみたいなという願望が常にあるのです。
もちろん、音楽理論ばかり語って欲しいというわけではありません。
それだけでは、楽器をやってない人はチンプンカンプンですし、いたずらにジャズの敷居と高くしてしまう可能性だってあります。
そうではなくて、職業として同じジャズという音楽を演奏する楽器奏者側の視点をもっと知りたいのです。
そして、実際に演奏している者じゃないと、なかなか気がつかないことを、楽器を演奏しない人にも分かりやすく伝えてくれると、より一層ジャズへの興味が増すと思うのです。
たとえば、ジャズではないけれど、下に貼り付けた動画の解説のようなアプローチで音楽を分析・解説してくれる評論を読んでみたい。
残念ながら、ここに貼りつけたYouTubeの映像は削除されちゃったけれども、以前、坂本龍一がご自身の音楽教養番組「スコラ」で、作曲者である教授(坂本龍一)自身が「なぜ《ビハインド・ザ・マスク》がアメリカで受けたのか」ということを、作曲者なりに考え、分かりやすく解説をしてくれているシーンがあったんですね。
そして、こういう解説に触れると、「そうだったんだ、もう一回聴いてみよう!」と思う人って少なくないと思うんだよね。
また、ふだんから聴いている大好きな曲が、音楽的にどのような工夫がなされ、自分が好きなポイントは、楽理的にどのような考え方でアプローチされているのか、などをプロのミュージシャンから分かりやすく解説されると、今まで好きだった曲が、もっと大好きになるかもしれないでしょ?
たまたま、上の動画では作曲者自身が、自分の曲を分析しているけれども、本当は作曲者や演奏者本人ではない立場からの第三者的かつ客観的な分析を私は、もっともっと読んでみたい。
なぜ、もっと読んでみたいのかというと、そういうジャズ評論って、日本にはあまりにも少なすぎるから。
なぜ少ないかというと、おそらくジャズ評論家の多くが楽器をやらないから。
あるいは楽理を知らないから。
あるいはやったことはあるけれども、嗜む程度だから深いところまでを解析し、解説することが出来ない。
さらには、印象批評が売りの評論家になってくると、本来ミュージシャンが意図していることとは間逆なことや、ミュージシャンが音楽的に表現したい内容を無視した内容を書いたりもする。
>>わがままジャズおっさんに注意!「好き嫌い批評」の面白さと弊害
もちろん、音楽をどう受け止めるのかは、聴く側の自由ではあるんだけれども、お金を貰って人に紹介する立場の人がそれでいいのかね?とも思うわけですよ。
だってさ、食材や調理の知識がない料理評論家っていると思いますか?
料理評論家は、料理は下手かもしれないけど、一応、ひととおりの食材や調理法の知識を持ってなければ、恥ずかしくて料理評論家だとは名乗れないでしょ?
プロとしては当然の自覚だよね。
読む側としても、食材や調味料、調理方法の知識のない料理評論家が書いた文章なんて読む気にはならないでしょう?
それなのに、不思議なことに、ジャズの世界って、レーベル、アルバム、ミュージシャン名、それにアルバムの番号や録音年月日など、このネットのご時世、調べれば素人でもわかるデータを受験生のごとく暗記している人は多いのだけれども、肝心なジャズという「料理」が調理されるメカニズムや、原材料であるコードやスケールなどの楽理を知らない評論家が多いわりには、この奇妙な現状に不満を漏らす人って少ないんですよね。
元より「敷居が高そうな世界」なので、ジャズに詳しくない読み手の気持ちは、最初から「偉い先生が書いた文章を拝読つかまります」というマゾヒスティックな気持ちになっているからなのかしれませんね。
もちろん楽理的な解説に偏り過ぎれば、初心者を遠ざけるのではないかという懸念も出てくることでしょう。
しかし、音楽理論を交えた解説を読み、かえって好奇心が刺激され、今までは特に意識をしていなかった曲をもっと聴いてみたくなるタイプの人だって少なくないと思うのですよ。
私だって、バリバリの文系で、理系的な専門用語はカラッキシですが、たとえば零戦のエンジンや、航空力学の話などは、難しい用語でワケが分からない箇所が多くても、かえって好きな対象の背後にある奥深さを感じることが出来るので、興味ある対象の解説は、難解であればあるほどゾクゾクしますからね。
そもそも、ジャズって異文化なんだから、知らないことだらけで当然なんですよ。
その異文化であるジャズに興味を持ち、もっと知りたい、近づきたいと考えるのであれば、知らないことをこちらから貪欲に吸収していこうという前向きな姿勢は不可欠だと思うし、たった一言の「言葉の補助線」を得ただけでも、聴こえ方が変わり、目の前に流れるボンヤリとしか認識できていなかった音楽が、一瞬でパッと光り輝くものに転じることだってあるわけです。
そういえば、過去から再三にわたって様々なジャズ評論家が楽理的な説明をしているアルバムがあります。
マイルスの『カインド・オブ・ブルー』ね(笑)。
ああ、モードね、モード、モード、モード!
でも、結局モードってよく分からないし、モードだからって『カインド・オブ・ブルー』のどこが素晴らしいのかがよく分からないという人だってたくさんいることでしょう。
でもね、それってハッキリ言って、評論家の力量不足だと思うわけね。
読者に関心を抱かせなければ、それはアナタの負け!ってことで。
通り一遍の知識を、腹の底から実感しないまま評論文を書いたところで、読者に伝わるわけがない。
先ほど「零戦」にちょこっと触れましたが、零戦ってカッコいいじゃないですか?
いや、別に零戦じゃなくて、戦艦大和でも、新幹線でも、ブルース・リーでも、サッカー選手がゴールを決める瞬間でもいいんだけどね。
で、それらのカッコ良さって、膨大な技術やロジックの裏付け、そして数多くの研鑚と試行錯誤が背後には必ずあるわけですよ。
同様に、私にとってはジャズってカッコいい音楽なんです。
で、そのカッコ良さの背景にも、絶対に技術や理論的な裏付けが背後にはあるはず。
それなのに、どうも音楽は「心だ」「ハートだ」というようなテーゼが誇大化してしまっているのか、多くの評論家は技術や理論について語ろうとしない。
いや、語れないのかな?
ま、音楽のことは音楽に語らせるのが一番良いので、そのあたりは言葉の限界ということはもちろんあるのだけれども、それでも、私はもう少し言葉の力を信じたいという心もあったりするわけね、活字人間としては。
だからこそ、昔、FM局でさせていただいたラジオ番組では、なるべくゲストにはジャズの第一線で活躍しているミュージシャンをお呼びして、ある時はスタジオの楽器を用いて、またある時は、楽器演奏者ならではの視点でジャズを語ってもらっていたのですよ。
で、ゲストがいないときは私が楽器を弾いたりしながら解説をすることもありました。
特に「音」でスタイルやビートの違いを実感させてくれた橋本一子さんがゲストの回と、「言葉」でドラマーのスタイルや表現の違いを納得させてくれた大坂昌彦さんの回は本当に素晴らしい内容だったと思っています(もちろん私のヘタなトークは除きます)。
マイルスの『ドゥー・バップ』から語られる、リズム、ビートの考察がタメになる!
トニー・ウィリアムスのドラミングのルーツなど、様々な考察が勉強になる!
ちなみにですが、上記、橋本さんも大坂さんも、考えてみれば、音楽学校でジャズを終えている「先生」でもありました。
なるほど、だから分かりやすく自らの感覚を言葉に還元するのが上手なんだ、と思いました。
だからね、出来れば、このような方々にジャズの評論や解説をしてもらいたいんですね。
現場で演奏している人の意見は説得力あるし、好奇心だって広がる。
ところが、先述したように、日本でジャズ評論をナリワイとしている人のほとんどが、このように音楽的な側面から、わかりやすい言葉で音楽を解説してくれない。いや、解説できない。
ジャズ本マニアの私は、時系列から語る評論も嫌いではないし、誰が誰の影響を受けているという系譜系の評論も嫌いではないし、データ偏重主義の評論はあまり好きではないけれど、店でこのレコードをかけたら大勢のお客さんが手に取って眺めたというような体験談に裏打ちされた評論も嫌いではないし、「吉祥寺を歩いていたら、ふとアル・ヘイグを聴きたくなった」みたいなエッセイ風評論も嫌いではない。
でも、それに加えて、もっとミュージシャン目線のマニアックな評論も読みたい!
だったらどうすればいいか?
ミュージシャンにミュージシャンを批評してもらっちゃえばいいじゃん?!
それが、この本の存在意義だと私は思っています。
先日発売された、ジャズライター・小川隆夫氏のインタビュー集です。
やはり演奏者の言葉には説得力がある
『スウィングジャーナル』誌上で長期にわたって続いた人気コーナー「アイ・ラヴ・ジャズ・テスト」。
これは、毎月、ジャズマンをゲストに呼んで、レコード名やミュージシャン名を告げずに、誰の演奏かを当てさせるコーナーなんだけれども、「テスト」というのは建前で、むしろジャズマンにジャズマンやジャズマンの音楽のことを語らせることにスポットを当てたコーナーなのです。
時に、我々シロートが思いもよらない角度からジャズの演奏を解説してくれるジャズマンもいて目がウロコな証言もたくさんあるし、想像以上に辛らつな感想もあったりで、ジャズマンによるジャズの解説は、素人の主観によるジャズ解説に比べると何倍もの説得力があるのです。
小川さんには大変申し訳ないのだけれども、楽器を演奏しない評論家の限界を感じる箇所がいくつもありました。
もちろん、正確には、小川さんはボサノバに影響を受けて高校時代からギターを演奏されているとのことですが、あまり楽理的なところには深い造詣がないと思われます(あったらスイマセン)。
だからといって、それは悪いことではなく、むしろ小川さんは、各々のミュージシャンから思いもよらぬ本音を引き出すインタビュアーとしての役割を十全に果たされておりますし、だからこそ、インタビューの内容が面白くなっているのです。
たとえばですが、コールマン・ホーキンスの《ボディ・アンド・ソウル》。
これって、歴史的な名演とも言われているし、モダンジャズ黎明期においては革新的なバラード表現とされています。
ちょっとジャズに詳しい方なら、これぐらいのウンチクはご存知でしょう。
では、なぜ、革新的なバラード表現なのかわかる?
多くのテナー吹きたちは、この《ボディ・アンド・ソウル》を聴いて衝撃を受けたからこそ、新しいスタイルが生まれてきたわけでしょ?
心に染みるからイイという人がいてもそれでいいと思います。
ま、実際、心に染みるテナーサックスであることは確かです。
でもね、プロの評論家が「この《ボディ・アンド・ソウル》の革新的なスタイルが後進のジャズマンに大きな影響を与えた」と書いたところで、あなた、その「革新的」って、何がどう「革新的」なの?って問われても、たぶん答えられる人って少ないんじゃないかな?
「従来にない響き」という形容が思いつくかもしれないけど、では具体的に、何をどう吹けば「従来にはない響き」になるの?ってことだよね。
分からない?
だったら、実際に同業者のテナーサックス奏者に聞くのが一番手っ取り早いよね。
テナー奏者のブランフォード・マルサリスは、本書ではこう言ってますよ。
バラードでエイス・ノート(8th note)をこんなにたくさん使ってみせたひとはそれまでいなかった。
そう、アドリブのアプローチの楽理的な面において革新的だったわけだね。
テナー吹きだったら、当然、コードも知っているし、出ている音もわかるわけだから、「おお、こいつ、今までとは違う音をたくさん使って、説得力のあるバラード吹いてるぜ!」と反応するわけですよ。
こういうことって、楽器を演奏している人じゃないとなかなか気づけない。
もちろん、楽器を演奏しない人が、そんなこと知る必要もないけれども、知ったことによって、「おお、そうだったのか!もう一回聞いてみよう!」と知的好奇心が満たされることに喜びを見出す人だっているわけなんですよ。
私だって、ここの箇所を読んだときには、思わずピアノの蓋を開けて、ピアノの椅子に座って鍵盤を押していましたから。
そういうことを「ジャズをもっと知りたい!」と思っている人に教えてあげることも評論家にとっては大事なことなんじゃないかな?
それともう一つ。
アーチー・シェップのインタビューで、コルトレーンのアセンションには譜面があったという証言にインタビュアーの小川さんは
「ちょっと待ってください。この音楽はコードに基づいているんですか?」
「コード進行から解放されたことで混沌とした世界が表現された音楽のように聴こえるのですが」
と驚いてますけど(あるいは読者サービスでわざと「通説」に則って無知を装い、驚いたフリをしただけなのかもしれない)、ジャズのバンドを組んで、モード風の演奏をしたことがある人だったら、すぐに分かりますよ、ちゃんとコードがある曲だな、って。
そのことに関しては、過去にさんざん書いてきたので割愛しますが、詳しくは、こちらをお読みください。
とにもかくにも、楽理を学んでいない評論家によるジャズ評論ばかり読んできて、もっと違う切り口で音楽そのものに迫った内容の音楽評を読みたいという私のような人にとっては、ジャズマンにジャズを語らせるこの本は、ジャズ好きの好奇心を満たしてくれる素晴らしい内容だと思うのです。
そして、何よりこの本が読みやすく、かつ親しみやすい内容なのは、小川さんは「評論家」という目線ではなく、純粋な「ジャズファン」として、それこそ憧れのジャズマンを前に目を輝かせながら素朴な質問を繰り返しているからだと思います。
あたかも、我々ジャズファンを代表しているかのように。
だからこそ読者は、あたかも目の前にジャズマンがいて、まるで自分がジャズマンと対話をしているような気持ちになって読むことが出来るのでしょう。
ありきたりな印象批評や、これぞ歴史的名演!といった常套句がまかり通るジャズ評論本に飽き飽きしている方にこそお読みいただきたい、楽しくエキサイティングなインタビュー集なのです。
記:2016/03/13