平凡といえば平凡なピアノトリオだがなぜか再び聴いてしまう『スピーク・ロウ』
歴史に残るピアノトリオは少ない
寺島靖国さんが、『JAZZピアノ・トリオ名盤500』を出したら、平岡正明氏が、『毒血と薔薇―コルトレーンに捧ぐ』で、「ピアノトリオに500枚も名盤があるもんか」と書いていたところを読んで思わず噴き出してしまった。
たしかに、ピアノトリオの「好盤」は多くても、「歴史に残るような名盤」と呼べる名盤は、ピアノトリオには少ないような気がする。
もちろん、私が聴いている量が少ないからかもしれないけれども、本当に「凄いピアノトリオ」、「その人の人生を変えかねないピアノトリオ」というのは、結局は、バド・パウエルのようなジャズジャイアンツの作品だけに絞られてしまうような気がする。
ピアノという楽器の種類ではくくれない、楽器のもつ特性や属性といったものを軽く飛び越えてしまった個人としての傑出した存在感や芸術家としての内面の業のようなものが、ピアノから出てくる音以上に巨大なうねりとなって襲いかかってくるもの、そんなものって滅多にないし、結局は、私が単にバド・パウエルやセシル・テイラーやセロニアス・モンクのファンということもあるんだけれども、こういうピアニストぐらいしか思い浮かばない。
さらに、モンクやテイラーはピアノトリオの作品って多くないし、むしろ彼らは、管楽器などのがはいったグループ表現でこそ、真価を発揮するタイプなので、結局は、私にとっては、パウエルの『ジャズ・ジャイアント』とか、『バド・パウエルの芸術』とか、そのあたりが、真のピアノトリオ名盤ということになるのかしら。
この強靭さやとてつもなさや、ワケわかんなさに比べれば、エヴァンスもキースもまだまだなのよ。
もちろん、彼らも凄いです。
でも、「凄い」のレベルがひと桁違う。
なんか、超越しちゃってるの、パウエルのピアノ、というよりも表現力は。
なんか、とってもヤバいんです(笑)。
気が付くと「おかわり!」
しかし、だからといって、他のピアノトリオが全然あかーんというわけではなくて、むしろ、日常的にはパウエル以外のピアノ・トリオを聴いていることが多いかもしれない(とはいえ、ジャズ・ジャイアンツやジーニアス・オブ・バド・パウエルは、今年だけでも、30回以上は聴いてるから、結構日常的に聞いてるんだなぁ、とiTunesの再生回数を見て今思った)。
じゃあ、どういうピアノトリオを日常的に聞いているのかといえば、以下の2枚。
特に、ウォルター・ビショップJr.の『スピーク・ロウ』は、出会ってからもう17~18年経つが、ほんと、何度聞いても飽きないね。
不思議なぐらい飽きない。
今日も聴いた、昨日も聴いた、おそらく、1年前の今日も、3年前の明後日も、9年前の一週間前も聴いていたことだろう。
平凡っちゃ平凡なピアノトリオなのに、なんでだろう、ご飯やマイルドセブンをまた求めてしまうような感覚で、「おかわり!」なんだよね。
この曲がいい、とか、このフレーズが最高!
とか、
そういう傑出したトピックになるようなものってほとんどないんだけれども、全体的に好き。
ドラムが微妙にダサいところ、ベースがピアノを食っているところも、好き(笑)。
この魅力、磁力っていったいなんなんだろう?
と思いながら、いつの間にか、また部屋で流れている『スピーク・ロウ』。
記:2007/11/28