ハービー・ハンコックにはなぜピアノトリオのアルバムが少ないのか?
2024/01/05
ベンチャーズのセッション
昔、六本木にあるライブハウス兼バーによく仕事帰りに遊びに行っていました。
場所が場所だけに、その店にやってくる常連さんの多くは、テレビ局や代理店などメディア関係者が多かったんですね。
(ま、メディアといえば私もそうでしたが)
ライブが無い日は、ステージを自由に使わせてくれる上に、楽器のストックもあったため、自由に演奏することができました。
なので、そこにやってくるお客さんの多くは、音楽好き、かつ楽器弾き。
比較的、年配の方が多く、当時はベンチャーズ世代の人が多かったわけですよ。
私はベンチャーズ世代ではないのですが、ベンチャーズのナンバーって、コード進行や曲の構成がシンプルな曲が多いので、聞いているうちにすぐに覚えてしまいます。
すると、「兄さん、ベース手伝ってよ」となるわけです。
その店にやってくるベンチャーズ世代の常連さんは、ギタリストやドラマーはいるのですが、ベーシストがいないことが多い。
ま、ギターを弾く人の中にはベースも弾ける人もいるので、ベーシストがいないときは、ギターの人がベースを弾くわけですが、それでもベース専門の人がいれば、それに越したことがないということで、私のほうにお声がかかるわけです。
ベンチャーズのベースラインは、非常にシンプル。
しかも、コード進行もシンプルな曲も多いので、いつの間にか《パイプライン》や《ダイヤモンド・ヘッド》や《ウォーク・ドント・ラン》などの代表曲は、すぐに暗譜で弾けるようになってしまいました。
そして、ソラで弾ける余裕が生まれると、今度はステージ上で楽器を演奏している皆さんの姿も観察することが出来るわけです。
そうすると、面白いことがわかります。
ベンチャーズのサイドギター
ベンチャーズにはリードギターとサイドギターの2種類のギターの役割分担があるのですが、リードギターよりもサイドギターを弾いている人のほうがベテランっぽい人が多いことに気が付くのです。
シンプルな旋律を奏でるリードギターを弾いている人のほうが、明らかにギター歴が短そうで、しかも若い人が多い。
もしかしたら、サイドギターを弾いている上司に「お前、高校時代にギターをかじってたなら、ベンチャーズも覚えろや」と命令されて弾いています風な感じなのですね。
その一方で、サイドギターを弾いている人は、リードギターを弾いている人よりも年輩の方が多く、そのグループの中では、一番音楽やギターにうるさそうなオジさんであることが多いような気がしました。
そのギターや音楽にうるさそうなおじさんがサイドギターを弾いている姿を見ていると、なんだかものすごく気持ちよさそう。
グラント・グリーンの『フィーリン・ザ・スピリット』のジャケ写よろしく陶酔の境地といっても過言ではないほどの表情で、忙しく右手に握ったピックをシャカシャカと上下させています。
で、こっそりとツインリヴァーヴ(ギターアンプ)のセッティングを見ると、トレブルやエコーがフルに近い状態になっており、いやはや、こんな極端なセッティングでよく弾けるな~と感心してしまったものです。
さり気なく目立つ愉しみ
さらに、よくよくギターの伴奏のパターンを聴いていると、一瞬倍テン(倍速テンポ)になったりして、けっこう自己流にパターンを変えているんですよ。
単調な伴奏にならず、ドラムやベースが形作るリズムの枠内で、リズムからはみ出ないように様々な伴奏パターンを試行錯誤しているのです。
さらに、ベースの演奏に余裕が出てくると、同時にもっとたくさんの楽器の音が耳にはいってきます。
さきほど「ドラムやベースのリズムの枠内で~」と書きましたが、よく聴くと、リードギターが奏でる旋律の合間を意識してバッキングをしているようでもある。
つまり、音を伸ばすところや、ちょっとしたメロディとメロディの切れ目のところに、ここぞとばかりにシャカシャカシャカッ!とシャリシャリしたエッジの立ったリズムギターをねじ込んでくるわけです。
伴奏楽器のベースを担当している私にも、この気持ち、よくわかります。こりゃ楽しいだろうな~、と。
メインの旋律を弾くことで「分かりやすく目立つ」のではなく、「密やかに目立つ」、あるいは「分かる人だけに向けて、さり気なく目立つ」悦び。
これって、伴奏楽器奏者ならではの、ある種屈折した(?)愉しみでもあるのです。
参考記事:ベースをやって良かったこと・悪かったこと~正直、良いことづくめです。
管楽器との共演が多いセロニアス・モンク
そういえば、ジャズのピアニストにもそういうタイプの人いたなぁと思ったら、まずはセロニアス・モンクが思い浮かりました。
彼は、もちろんピアノソロのアルバムも出しているし、ピアノトリオのアルバムも出しています。そして、そのどれもが名盤ではあるのですが、しかしそれ以上にホーン奏者をフロントに立たせている場合が多い。
ホーン奏者、特にテナーサックス奏者が多いのですが、フロントの管楽器にテーマのメロディを吹かせて、自分はバックで、コチョコチョと面白いアクセントを挿入したり、面白い響きの和音や、面白いタイミングで和音をコキン!と鳴らしていることが多いのです。
平凡な管楽器奏者のバックでアクセントをつける楽しみ
特に、テナーサックスがチャーリー・ラウズの時のカルテットは10年近くも続いたわけですが、他のホーン奏者と比較すると、それほど閃きに満ちているというわけではない、ある種、凡庸なテナーサックス奏者といっても良いほどの人と長年バンドを続けていたわけです。
メンバーの入れ替えが面倒くさかったのかもしれませんし、チャーリー・ラウズとモンクが仲良しだったから、音楽性よりも人間関係を重視したのではないかとも考えらえますが、こればかりは、モンク本人に聞いてみないとわからないことです(1982年に他界)。
しかし、これはあくまで私の推測ですが、モンクはピアノの伴奏を楽しみたかったから、フツーのテナーサックス奏者を雇い続けたのではないかと思うのです。
ラウズのアドリブは平凡です。
というかワンパターンです。
もちろん、彼のリーダー作や、他のジャズマンのサイドマンに回ったときは、味のあるプレイをするテナー奏者なので、ラウズ自体はボンクラなジャズマンというわけではありません。
参考記事:隠れた名盤を大切に/C.ラウズ『ボサノヴァ・バッカナル』
しかし、モンクのカルテットでの演奏は、もちろん悪くはないけれども、ものすごく良いわけでもない。要するに平凡なんです。
それは、モンクの曲が構造的に難しかったために、そういう内容にならざるを得なかったということもあるでしょうし、モンクからあまり冒険せんで良いという指示があったのかもしれません。
これに関してもラウズ本人に尋ねてみないとわからないことですが(1988年没)、いずれにしても、ラウズが参加したモンクのアルバムは皆、金太郎飴的でつまらないという前に、テナーサックスの音よりも、後ろでカキンコキンと鳴っているモンクのピアノに注意を向けてみると面白いことがわかります。
それは、同じ曲でも、演奏する場所や日時によって、まったく伴奏のパターンが違うということです。テナーサックスはほぼ同じ内容に聞こえるんだけど、伴奏で遊びたいモンクにとっては、ラウズか吹く「同じ内容」が必要だったのかもしれません。
モンクの場合も、ベンチャーズのサイドギターおじさんのように、定型のバックで奏でる非定型を愉しんでいるように感じられるのです。
定型というのは、決まりきったメロディのこと。
非定型というのは、毎回異なる伴奏パターンのことですね。
そして、毎回異なる伴奏パターンを楽しめるのは、「わかりきったメロディ」が鳴っていることが重要なのです。
話しの流れやオチが分かっているからこそ、安心してツッコミや茶々を入れることが出来るということです。
定型リズムを規則的に刻んでくれるリズムマシーン(リズムボックス)というものがありますが、もしかしたら、モンクにとってのラウズの存在は、リズムマシーンならぬ、メロディマシーンだったのかもしれませんね。
そして、ハンコック
さて、モンク以外にも似たようなタイプのピアニストはいないものかと考えてみたら、いました、いましたハンコック。
ハービー・ハンコックもピアノトリオのリーダー作が少ないですね。
もちろん皆無というわけではないのですが、あったとしても日本製作のスタンダードばかりをやらされたアルバムだったりします。
もちろん、あのハンコックのことですから、さらに、ベースがロン・カーター、ドラムがトニー・ウィリアムスという気ごころの知れたメンバーですから、一定水準以上のクオリティの良い演奏をしていはいるんだけれど、ハンコックの「今、やりたいこと」が、その時、音として、彼の内面的な音楽的欲求が全面的に表出されたものとは言い難い。
しかも、クライアントは「親ジャズ国民」の日本人ですから、「きっと、ここをこう弾けば喜んでくれるんだろうな」という、日本ファンに向けてのサービス精神と社交辞令的な演奏内容なのです。
それはそうですよね、「ライヴ・アンダー」で来日した直後に「ついで」に録音されたものですから。
もちろん、この作品も悪くはないし、貴重な記録には違いないのですが、とにもかくにも、ハンコックにはピアノトリオのアルバムは少ない。
それはなぜかというと、やっぱりコンポジションに重きを置いているからなのでしょう。
それと、ピアニストとしての気質がモンクと似ているのかもしれない。
前に出て、一番目立ってスゴイ、というよりも、「全体の中でスゴい」というポジションのほうが良いのでしょう。
それと、彼ほどクレバーな人であれば、やっぱりピアノやエレピ、シンセなどの移動不能な固定学期である鍵盤楽器は、ショルダーキーボードは例外ですが、基本的には移動不能であり、音の存在感的にも、ビジュアル的にも、楽器が持つ瞬発力的な面においても(たとえばトランペットやギターに比べれば)、主役を張り続けることには限界があるということを十分に理解しているのでしょう。
であれば、主役を立てて、「主役の陰でもっと凄い!」のほうが良いじゃん、という発想になるのでしょう。
で、実際、そういうポジションのほうが楽しかったりするのでしょうね。
六本木のベンチャーズおじさんギタリストのように。
好伴奏の名演、目白押し
もちろんハンコックは、ピアノやキーボードのソロは素晴らしいのですが、彼が参加したアルバムを聴くと、バッキングが優れているものが多いのです。
たとえば、先ほど例にも出しグラント・グリーンの『フィーリン・ザ・スピリット』の1曲目のピアノなんて、なかなか存在感のあるバッキングです。
これと似たような印象的な伴奏パターンといえば、ウェイン・ショーターの『ネイティヴ・ダンサー』の美女と野獣の伴奏も印象に残りますね。
非常に細やかで正確なうえに、演奏にも脈動をもたらしている。
これらの伴奏は定型パターンの繰り返しですが、その場その場の演奏の局面を捉えて、もうこれ以上はないというくらいカッコいい盛り上げ方をしている演奏もたくさんあります。
有名どころで例を挙げるとすると、マイルス・デイヴィスのライヴ盤『フォア・アンド・モア』の《ソー・ホワット》でしょうね。
これ、トニー・ウィリアムスのドラムの凄さを知ってもらうために引き合いに出されることの多い曲ではありますが、なかなどうして、トニーのドラミングだけで満足せずに、ハンコックのピアノにも耳を傾けてみてください。
演奏に緊迫感をさらに付加させていることが分かることでしょう。
2番手、3番手だからこそ光る
また、アルバムは違いますが、上記《ソー・ホワット》と同じ日のライヴで演奏されたバラード《アイ・ソート・アバウト・ユー》の伴奏も素晴らしいです(『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』に収録)。
テナーサックス奏者、ジョージ・コールマンのソロの後にハービーがピアノでアドリブを弾きはじめるわけですが、これがまた絶品! メランコリックで陰影に富んだ深い表情をピアノが見せてくれるわけです。
しかし、この美しさも、ピアノトリオでいきなり、あのフレーズが始まってしまうよりかは、彼の前にマイルスのトランペット、そしてジョージ・コールマンのテナーサックスがあったからこそ、ハンコックのピアノソロが、より一層素晴らしいものに感じられるのかもしれません。
要するに「イイトコどり」。
ある意味、2番手、3番手だからこその美味しいポジションなのかもしれません。
ハンコックは、このポジションを明確に自覚していたはずです。
いや、人一倍自覚し、このポジショニングを最大限に活かしたからこそ、現在に至るまで輝かしい功績を築き続けているのかもしれません。
ピアノの腕は超一流でありながらも、まずはトータルで音楽を構築する目線、そして、自らがリーダーであっても、音楽的な構成を最優先させ、自分があえて前面にデル必要がなければ、無理して前にしゃしゃり出ない。
あくまで、自分のプレイよりも、音楽全体の「あり方」を最優先で考える、コンポーザーでありアレンジャーであり、プロデューサー的な目線、そしてポジションは、きっと近年注目を集めているロバート・グラスパーにも大きな影響を与えているに違いありません。
記:2017/12/16
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