【ブルースの歴史・8】メンフィス・ブルース
2021/02/20
>>【ブルースの歴史・7】ミシシッピ・ジャクソン・ブルースの続きです。
text:高良俊礼(Sounds Pal)
メンフィスという街
ロバート・ジョンソン、サン・ハウス、チャーリー・パットンらが拠点にし、活躍したミシシッピ・デルタから、ミシシッピ川沿いに北上する。
州の境を越えた人々が最初に立ち寄る街がメンフィス。
戦後はロックンロールの大スターであるエルヴィス・プレスリーを輩出し、また、若き日のB.B.キングが、その人気のきっかけを掴んだラジオ番組をDJとして南部のリスナーに届けていたのも、この地であり、更にはスタックス、ハイ・サウンド、ゴールド・ワックスなどのソウル/R&Bレーベルが“サザン・ソウル”と呼ばれる良質な作品を次々リリースして、一時代を築いた街。
音楽ファンには特別の思いで語られる事の多い、言わばメンフィスは偉大なアメリカン・ルーツ・ミュージックの源泉とも言っていいだろう。
メンフィスの歴史
小高い台地の上にあり、ミシシッピ川の流域で水害に遭わないという立地的好条件から、この街は南部と北部を結ぶ交通の要衝として重視されてきた。
やがて南部一帯の入植が落ち着くと、今度はここに大規模な奴隷市場が開かれて、南部の綿花産業を支える奴隷労働力がここから提供され、奴隷解放後は南部からシカゴやセントルイスへ向かう人々が最初に立ち寄る中継都市として栄えた。全人口における黒人の割合が常に半数以上というメンフィスでは、南部、特にミシシッピやアラバマという、隣接する深南部の黒人文化を統合して発展させたような、独自の文化が根付いて、極めて高い密度を保ちながら熟成されてきたという独自の歴史がある。
この、文化の熟成が、B.B.キングを中心とするモダン・ブルースからロックンロール、ロカビリー、サザン・ソウルやサザン・ゴスペルまで、深く果てしなく繋がって行くのだが、その深く果てしない話はまたの機会にするとして、今回はその源流を辿りたい。メンフィス音楽の豊かな源流といえば、何はさておきで戦前メンフィス・ブルースである。
ジャグ・バンド
戦前のメンフィスは、南部各地から北を目指す労働者達の娯楽を提供する商売が多かった。
すなわち酒場に娼館に賭場、これら軒並みいかがわしい場では、とことん陽気で卑猥で景気の良い音楽が求められた。
まず求められたのはジャズ・バンドだったが、高価な管楽器を揃えてのフルバンドは当時まだ南部ではとにかくいなかった。いや、いたかも知れないが、そういった連中はカネにならない南部での生活には早々に見切りを付けて、シカゴやニューヨークなどの大都市で稼いでいた。
さて「景気がいいのをやっとくれ、ジャズがいいな」と言われた地元のブルースマンや演奏家達は「楽器がないなら作ればいい」と一計を案じた。
チューバの代わりに工業用のビン、ウッドベースの代わりにタライと箒で作った一弦ベース、パーカッションとしての洗濯板、あとはストリングス・バンドでもおなじみのギターやフィドル、バンジョーなどの弦楽器を揃えたら、即席ではあるがこれがなかなかどうして立派なアンサンブルを響かせるバンドとして機能した。
こういった自作楽器をアンサンブルに加えたバンド形式は、工業用のビンの呼び名から「ジャグ・バンド」と言われ、派手で賑やかなそのサウンドと、卑猥でユーモア精神たっぷりの歌は大いに受け「メンフィスにはジャグ・バンドという面白いバンドがある」と話題にもなった。
メンフィス・ジャグ・バンド
特に“メンフィスの代名詞”と呼ばれたのが、メンフィス・ジャグ・バンドとキャノンズ・ジャグ・ストンパーズである。
メンフィス・ジャグ・バンドはハーモニカ奏者のウィル・シェイドが中心となって、1927年頃から活動が見られる。
メンバーはかなり流動的というより、バンドとして固定されたメンバーで動く事より、演奏依頼やレコーディングの都度に手の空いたミュージシャンらが集まって、自由に演奏するスタイルであったようだ。
名義も「メンフィス・ジャグ・バンド」として統一されたものでもなく、ウィル・シェイドが中心となって録音したものは、後になって全て“メンフィス・ジャグ・バンドの音源”として適当に整理されて販売された。
いかにも戦前のローカルバンドらしい独特のユルさが、ラフでドサッぽい演奏内容同様に魅力だが、しかしそのメンバーの中には、戦前カントリー・ブルースを代表するブルース・ウーマンであるメンフィス・ミニーや、スライドギターの名手として、単独でのレコーディングも多いケイシー・ビル・ウェルドンなど、かなりのビッグネームがあるからあなどれない。
キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ
一方のキャノンズ・ジャグ・ストンパーズは、農作業や鉄道工夫をしながらメディスン・ショウに加わって巡業生活をしていたバンジョー奏者のガス・キャノンが、ノア・ルイス(ハーモニカ)、アシュリー・トンプソン(ギター)と、バンド形式の演奏をしていたところをレコード会社がスカウトし「ノア・ルイス、アシュリー・トンプソン&キャノンズ・ジャグ・ストンパーズという名前でレコーディングしないか?」と、1928年から1930年までの間にジャグ・バンド形式のレコーディングをさせたという話が伝えられている。
どちらもその音楽性は「ブルースとジャズの融合」というよりも、生の弦楽器にのどかなハープやカズーのほんわかブーブーの音が自由に絡み、それらをジャグやたらいベースといったお手製楽器のチープな音が陽気に盛り上げて、完全に「ブルース以前の南部ポピュラー音楽」といったノリで実に楽しい。そして、使われている楽器はチープだが、そのサウンドは熟練された「芸」と呼ぶに相応しく、演奏技術も相当なものなのだ。
ピークは過ぎたが……
ジャグ・バンド人気は1920年代から30年代をピークに、徐々に下火になり、電気増幅された楽器(エレキギター)の登場と共に、メンフィス・ブルースの主流は更にアグレッシブで激しいバンド・サウンドへと移り変わってゆく。
しかし、1960年代のフォーク&ブルース・リヴァイバル時にジャグ・バンドの手作りで陽気なサウンドは独自に再評価され、今も世界中で多くの愛好家を生んでいる。
記:2018/04/29
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)
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